歴史

クリスマスの真実|クリスマスはキリスト教ではなかった!?由来と起源

 

クリスマスはキリスト教圏では1年でもっとも大切な祝日。

家族、親戚が一同に集まってプレゼント交換をしたり、クリスマスーディナーを食べて、のんびり家族団らんのときを楽しみます。

 

ところで、一体いつから今のようなクリスマスになったのかみなさんご存知でしょうか。

Amie
Amie
こんにちは。Amieです(Amie_Writes)

今回は赤いサンタクロースが登場するもっともーっと前の、”クリスマス誕生の秘話”を紹介します

驚きが詰まったお話なので、ぜひ最後までお楽しみください。

そもそもクリスマスってなんのお祝い?

クリスマスは、イエス・キリストの”降誕祭”。

ビリー
ビリー
誕生日じゃないんだね

そう、新約聖書にはキリストの生まれた日についての記述がなく、25日はキリストの誕生を記念する日なんです。

 

ではどうして、12月25日に生誕を祝うようになったのでしょうか。

キリスト教が伝来するもっと前の歴史へさかのぼっていきましょう

 

キリスト教以前のおはなし。北欧編

北欧ではノース人(ヴァイキングを含む、古代スカンディナヴィアの人々)の間でYule(ユール)」といわれる冬至祭が行われていました。

12月の冬至期間、長い冬の暗闇や寒さと戦う太陽の象徴である火を12日間にわたって焚き続けます。火を燃やし続けるために使用されていたのは「ユールログ」といわれる太い木の幹。

ユールログを運ぶ人々 引用:Bing

12日間燃え続けられる大きな木を伐り、家族総出で家まで運びます。

この間人々たちは酔っぱらい、火の回りを狂喜乱舞しながら精霊との接触を試みていたともいわれています。

子孫繁栄・無病息災を祈り、燃やしたあとの灰はベッドの下に保管すると、悪霊や自然災害から家を守ると信じられていました。

クリスマスシーズンになるとケーキ屋さんで見かけるブッシュ・ド・ノエルはフランス語で「クリスマスの丸太」という意味なんですよ。

ブッシュ・ド・ノエル 別名「Yule log 」

ユール・ログを囲む人々 引用:SPIRITBLOGGER’S BLOG

 

キリスト教以前のおはなし。ローマ編

一方ローマでは、ローマ神話が浸透しており土着の神々をまつっていました。

12月17日から24日の7日間は、農耕神サートゥルヌスを祭るサートゥルナーリア(Sāturnālia)という祝日で、この間は奴隷にも自由が許され、楽しく陽気に祝われていました。

ローマ神話に登場する農耕神サートゥルヌス(Sāturnus)引用:wikipedia

 

その頃、ペルシャからも太陽神Mithra(ミトラ)をまつるミトラ教(ミスラス教)がローマに伝わり、有力な教団に崇拝されていました。

ミトラ教は一年で最も昼間が短くなる冬至(12月25日)が”太陽神ミトラ誕生の日”だと信じられており、25日の祝祭のあいだ宮廷は閉ざされ、同性愛や女装、淫行・・・普段は禁止されている行為が許されていました。子供でさえも酔っ払いの乱痴気騒ぎに参加していたそう。

12月25日はミトラ神の誕生日 引用:Bing

ローマ皇帝はミトラ教や異教徒の文化の広がりを抑制することができなくなったため、習合していくことで異教徒同士の衝突を避けていきました。

ミトラ神の誕生部である25日をキリスト教の公式行事へ制定し、今のクリスマスの原型が誕生したと言われています。

これが結果的にキリスト教を広めるきっかけにもなりました。

 

クリスマスが禁止されていた時期!?

近代のクリスマスに深く関わるイギリスのお話です。

クリスマスはローマ教会の三大祝日の一つとなっていた597年。

教皇グレゴリー1世の命令により、カンタベリーのアウグスティヌスがイングランドへキリスト教布教を開始します。

引用:Wikipedia

カンタベリーのアウグスティヌス

Augustine of Canterbury

 

初代カンタベリーの大司教。

布教を開始した翌年クリスマスには、1万人以上のイングランド人(アングロ・サクソン人)に洗礼を施したといわれています。

これによりイングランドの一部で行われていたユール祭と、イエス・キリストの降誕が混合されるようになっていきます。

16世紀前半(1533年)ヘンリー8世によって宗教改革が行われ、ローマ教皇から分離し「イギリス国教会」が確立してもクリスマスにはお祝いがされていました。

どうしてヘンリー8世が宗教改革したかはこちら⬇︎

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ところが1647年、議会によってクリスマスの祝日を廃止され、その後20年間にわたってクリスマス(イースター含む)のお祝いが禁止されることになります。

原因は、ピューリタンの宗教改革。

ピューリタンはクリスマスを暴飲暴食,ダンス,ギャンブル,乱痴気騒ぎに結びつく”異教徒の祭り“と非難し、多くの教会でクリスマスの礼拝を中止させ、またほとんどの店や市場の休業を許しませんでした。

ピューリタン(清教徒) とは

イギリス国教会の信仰と慣行に改革を唱えるキリスト教のプロテスタント(カルヴァン派)グループ。

イギリス国教会の中でピューリタンが勢力を持つようになりました。

 

アメリカでは教育にクリスマス・プログラムを

エリザベス1世の死去後、ジェームズ1世が王位を継承すると、ピューリタンへの弾圧が激化するようになります。

それに不満を募らせた一部のピューリタンは信仰の自由を求めアメリカへと移住します。

アメリカへ移住したピューリタンたち「ピルグリム・ファーザーズ」 

引用:DailyBeast

アメリカの植民地でもクリスマスは禁止されていましたが、ニューヨークなど都市ではクリスマス時期にお酒を飲んで騒いだり、暴動がおきたり、警察が介入しなければならないほど、民衆を制御することができなくなっていきました。

そこで教会学校(サンデー・スクール)では、子供たちを対象に「クリスマス・プログラム」を開始。

子供たちにキャンディーなどお菓子を提供しながら、クリスマスは慎ましく、慈悲深く過ごすように教えました。

Amie
Amie
このプログラムは成功し、のちに異教徒の儀式であるハロウィンの促進にも使用されたとか。

サンデースクール 引用:Bing

 

新しいクリスマスの誕生は1つの本がきっかけ

1843年に出版された、イギリスの作家チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」が大ベストセラーになりました。

物語の中にはデコレーションされたクリスマスツリー、家族との陽気な食事などの描写があり、今のクリスマスを形づけるものとなりました。

英王室でもクリスマスツリーを飾る習慣が導入されると、瞬く間に民衆にも浸透し家庭でもクリスマスツリーが飾られるようになります。

厳正なピューリタンの慣習が残るアメリカでも「クリスマス・キャロル」が大流行すると、徐々にその影は薄れていき、1890年にはアメリカの全州でクリスマスが正式な祝日となりました。

‘A Christmas Carol’ by Charles Dickens

「クリスマス・キャロル」はクリスマスに家族で見るクリスマス・ムービーの代表作として毎年テレビで放送されています。

参考サイト

ジャパンナレッジ(日本語)

・The Truth About Christmas

引用:YouTube

クリスマスの真実|まとめ

今ある華やかなクリスマスはもともと異教徒の陽気な冬至祭と、慈悲深いキリストの思想が合わさったものだったんですね。

日本でも神仏習合など、時代とともに形を変えたものがあります。

もしかしたら今ある慣習もいずれはまったく違うものになっているかもしれません。

 

いつまでも家族を思う、暖かく楽しいクリスマス(お正月)を過ごせますように。

Merry Christmas to you and your family, and very best wishes for the New Year.

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