3月17日は聖パトリックの日(セント・パトリックス・デー)
この日は世界中が緑、緑、緑一色になります!
セント・パトリックス・デーはアイルランドのお祝いなのですが、実はアメリカ発祥って知ってましたか?
今回は、アイルランドが分かる聖パトリックの日にまつわる歴史と、北アイルランド問題について紹介します。
街が緑色に染まる日。セント・パトリックス・デーとは?

引用:belfastlive
3月17日セント・パトリックス・デー(St. Patrick’s Day)はアイルランドの守護聖人、聖パトリックの命日。
アイルランドのシンボルであるシャムロック(三つ葉のクローバー)にちなんで、人々は緑色の服を纏い、建物は緑色にライトアップされ、川も噴水も緑色になり街中が緑一色に!

シカゴ川は毎年この日のために緑色に染め上げられる Image : Shutterstock
アイルランドはもちろんアメリカ、オーストラリア、カナダなどでもパレードが行われます。
この日は、家族や友人たちとパレードやフェスティバルに参加して、アイルランド発祥ビール「ギネス」を飲んで、歌ったり、ダンスを踊ったりして世界各国にいるアイルランド系の人たちが祖国の豊かな文化と伝統を祝います。
セント・パトリックス・デーの日、ギネスビールは世界中で600万リットルも消費されるとか。

聖パトリックってだれ?
パトリキウス(ラテン語: Patricius, 387年? – 461年3月17日)
アイルランドにキリスト教カトリックを広め「アイルランドの使徒」と呼ばれた守護聖人。

聖パトリック。右手にシャムロックを持っている image : Bing
パトリキウスはブリテン島(現在のイングランドとウェールズの地域)に生まれましたが、16歳の時に誘拐、アイルランドへ連れて行かれ6年間奴隷として働かされます。
脱走して故郷へ戻ったあと神学を学び、再びアイルランドに訪れ各地に修道院、教会、学校を設立しカトリックを広めました。
現在もアイルランドの全人口78%がカトリック信徒なんですよ。(2016年国勢調査)
パトリキウスはカトリックを広める時に、キリスト教の三位一体「父(神)・子(キリスト)・聖霊」を、三つ葉のシャムロックで表現していたといわれています。
シャムロックは彼のシンボルに、そしてアイルランドの国花になりました。

セント・パトリックス・デーのお祝いはアイルランドではなくアメリカ発祥
はじめて聖パトリック・デーのパレードが行われたのは1601年3月17日、現在の米・フロリダ州(当時スペイン植民地)
地元の通りを練り歩く小規模のパレードでしたが、今のような大規模イベントのルーツはそれから160年後の1762年3月17日。
イギリス軍に仕えていたアイルランド人兵士たちがニューヨーク市でバンド演奏と連隊旗を掲げてセント・パトリックス・デーのお祝いに行進。その後ボストン、シカゴなど主要都市でも街頭パレードが行われるようになります。

ニューヨークで行われたセント・パトリックス・デーのパレード(1909年)引用:History extra
はじめはイギリスに忠誠を誓うプロテスタントによってお祝いされていましたが、1840年代になるとその意味合いが大きく変貌していきました。
この時期「ジャガイモ大飢饉」によって多くのアイルランド人がアメリカへ移住したのです。
ジャガイモ飢饉
Irish Potato Famine(1845-49年)
アイルランドで疫病が発生し当時主食だったジャガイモが不作。
これにより100万人が飢えで命を落とし、100万人が飢餓を逃れるためにアメリカへ移住しました。
現在ではアイルランド本土よりも、海外のアイルランド系の方が人口が多いといわれています。

アイルランドからニューヨークに向かう移民たち 引用:prymemag
この時期にアメリカに移住したアイルランド人のほとんどは教育も受けておらず「暴力的」「犯罪者」「病気にかかっている」など差別を受けていたそう。また、アメリカでは少なかったカトリック教徒でもありました。
アメリカという未知の土地で、貧困や差別、宗教による偏見に苦しむアイルランド移民たちは「アイルランド人」としての誇りとアイデンティティを示す方法を模索していました。
1848年にニューヨーク市でセント・パトリックス・デイ・パレードが公式に結成。
各地で小規模に行われていたパレードが一つにまとめられ、米国最大そして世界最古の民間パレードが行われました。こうしてセント・パトリックス・デーを祝う伝統はアメリカ全土へと広がります。
20世紀になるとセント・パトリックス・デーはマーケティングでも活用されるようになりました。
シャムロックモチーフのグッツ販売や、飲食店ではギネスなどアイルランドにちなんだ食べ物や飲み物がプロモーションされていきます。
ギネスビールや緑の帽子やシャムロックのサングラス、派手な緑のTシャツなど、緑を身につけるアメリカ独自の伝統も生まれました。
セント・パトリックス・デーの伝統料理コーンビーフ&キャベツもアメリカ独自の伝統!?

アイルランドでは牛肉が高級だったため、ベーコンが伝統的に食べられていました。しかしアメリカではコーンビーフが安価に手に入ったためベーコンの代用として食べられたそう。
アイルランドのセント・パトリックス・デー
アイルランドではセント・パトリックス・デーが正式な祝日になったのは1903年のこと。
さらに驚いたことに1903年から1970年までアイルランドの法律では、3月17日はすべてのパブを閉鎖することが義務付けられていました。

セント・パトリックス・デーのアイルランド・ダブリン城(1880)引用:Look and Learn
1900年代初頭のアイルランドではセント・パトリックス・デーの日には、銀行、多くの企業、オフィス、学校がお休みになり、ほとんどのアイルランド人は朝からミサに出席し聖パトリックを偲ぶ日として厳粛に過ごしていました。
アメリカのように軽快に盛り上がる日ではなかったのです。
1970年までパブが閉店していた理由は3月17日キリスト教の四旬節(しじゅんせつ)に当たるため。
四旬節は復活祭まで46日間にわたる準備期間で、キリストの苦しみを分かち合うという意味から飲酒が制限されていました。
アイルランドで初めて軍事パレードが行われたのは1931年。1960年代に入ってからはアメリカの影響を受けて祝賀的で楽しいパレードへと変貌していきました。
今では3月17日はレストランやパブなどの接客業を除き、銀行や大型店などほとんどのお店はお休みになり各地でパレードが行われます。
ダブリンでは国内最大のパレードが行われ、およそ50万人の人々が集まる観光名所に。
緑の服を着て地元のパレードを楽しみ、そのあとは家族や友人たちとパブに行き伝統的なアイルランド音楽を聴いたりお酒を飲んで過ごします。
ゲールタハトでは、セント・パトリックス・デーは伝統的な音楽や歌や踊り、競馬やGAA(アイルランド国技ゲーリック・フットボール)の試合が行われ、昔ながらのスタイルで祝われることが多いようです。
ゲールタハト:アイルランド語(ゲール語)が話される地域
先住アイルランド人の減少や、イングランドに植民地化されてから現在ゲール語を日常的に使用している国民は人口の1%にも満たないといわれています。

引用:Wikipedia
ドニゴール郡、メイヨー郡、ゴールウェイ郡、ケリー郡、コーク郡、ミース郡、ウォーターフォード郡のほか、6つの有人島もゲールタクトに含まれる。総人口は96,090人
北アイルランドでは?

イギリスの正式名称は「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国
アイルランド島北東部の地域が「北アイルランド」と言われイギリスの領土になっています。
I’m from a protestant, Northern Irish family, so it was never a huge celebration in my household growing up.
But now I’m in England and have my own household, where I choose to be be Irish, Northern Irish and British, and to celebrate them all as enthusiastically as possible.
私は北アイルランドのプロテスタントの出身なので、私の家庭では決して大きなお祝いはありませんでした。
でも今はイギリスで家庭を持って、「アイルランド人」であること、「北アイルランド人」であること、そしてイギリス人であることを選んだので可能な限りすべてを祝うようにしています。
Independent ”St Patrick’s Day 2016: What does it mean to you?“より
この言葉にように、北アイルランドではセント・パトリックス・デーを盛大に祝うことはありませんでした。なぜなら、プロテスタントとカトリックの宗教対立が起こっていたからです。
北アイルランド問題の起源
北アイルランドにプロテスタントが多い理由は、ヘンリー8世(1491年 – 1547年)の宗教改革に遡ります。
こうしてヘンリー8世はカトリックを離脱し「英国国教会」の首長になり、さらに1541年にはアイルランド王(King of Ireland)の称号を得てアイルランドを統治下におきます。
英国国教会を広めようとプロテスタントをアイルランドに移住させました。
ヘンリー8世の2番目の妻アン・ブーリンの生涯も記事にしてます。

アイルランドではカトリック教会を頑なに守り続けましたが、プロテスタントの勢力が増していき入植が進んでいきます。
1920年代にアイルランドがイギリスの植民地支配から脱し独立を果たしますが、プロテスタント(英国国教会)がカトリックの人口をしのいでいた北東部アルスター地方だけが、北アイルランドとしてイギリス領にとどまることになったのです。
北アイルランド紛争へ
当時の北アイルランドは人口の3分の2がプロテスタント、残り3分の1がカトリック。
さらにイギリスとの一体性を求める親英派と、アイルランドとの統一を求める共和派に分かれ軍や警察も介入する血みどろの北アイルランド紛争へと突入します。
争いは北アイルランド内に留まらず、1974年イングランドの都市・バーミンガムのパブで連続爆破が起こり、死傷者が200人以上に上った”バーミンガム・パブ爆破事件”が発生。
当時アイルランド共和派の犯行と疑われ、イングランドではアイルランド人に対する差別がより激しくなったそう。
アイルランド人の義母は、家族とイングランドに住んでいました。
「この事件をきっかけに暴言を吐かれたり物を投げつけられた」と話してくれました。
アイルランド紛争をテーマにした映画・ドラマ
アイルランド紛争の歴史を詳しく知りたい方は、映画やドラマがおすすめです。
麦の穂をゆらす風(2006)
アイルランドの独立を目指してイギリス軍と戦う2人の兄弟。

1920年代初頭、兄弟を中心にアイルランド独立戦争とその後の内戦を描いた作品。
アイルランドの医学生ダミアン(キリアン・マーフィ)はロンドンの病院の仕事が決まっていたが、イギリス兵の暴行を目の当たりにして兄テディとアイルランド共和国軍に入隊。しかしその後の内戦によって敵味方に分かれることに・・・
主人公は”ピーキー・ブラインダーズ”にも主演しているアイルランド人俳優キリアン・マーフィ。痛々しい拷問シーンなどもあり「キリアン・マーフィが好きだから」という理由でこの映画を見ると確実に後悔します…
英タイトル”The Wind That Shakes the Barley”は、アイルランドの詩人ロバート・ドワイヤー・ジョイスの作品から名づけられました。
Irish rebel song(イギリス支配への抵抗を歌ったアイルランドの反乱歌)の一つで、1798年蜂起に恋人を捨てて独立運動に身を投じた一人の青年の悲劇を歌っています。
マイケル・コリンズ(1996)
アイルランド独立戦争の指導者で英雄のマイケル・コリンズの生涯を描いたストーリー。

1916年のイースター蜂起から、その後の内戦まで描かれ「麦の穂をゆらす風」とほぼ同じ時代を舞台にしています。
マイケルは1916年イースター蜂起でイギリス軍に敗北し逮捕されてしまう。釈放されてから再び独立運動へと身を投じ、ゲリラ活動やイギリスの警察を暗殺していく大胆な戦略でイギリス統治からの開放につなげた・・・
民衆に視点をおいた「麦の穂をゆらす風」に対して、「マイケル・コリンズ」はIRAの指導者であり、アイルランド独立運動の革命家マイケル・コリンズの伝記映画。政治家やイギリス側の軍人など実在の人物をモデルにしたキャラクターが多く登場します。
印象的なのが、アイルランド自由国が成立しイギリスからの主権引継ぎの式典が行われるシーン。
マイケル・コリンズは7分遅刻して到着し、それをイギリス将校に咎められると
“You’ve kept us waiting 700 years. You can have your seven minutes.”
あなたたちは700年も待たせたのだから7分くらい待てるだろう
と言い返す台詞があります。
これはアイルランドがイギリスに700年も支配されていたことを指しています。
Netflixドラマ「Rebellion」(2016)

1916年のイースター蜂起から100周年を記念して作成されたドラマ。
イースター蜂起が勃発する中、メイ、フランシス、エリザベスの3人の女性の葛藤が描かれています。イギリス軍とアイルランド共和主義同盟(IRB)、親と子、恋人・・・登場人物が多く複雑ですが、実在する人物も多く、多角的にアイルランドの内情を知ることができます。

映画・ドラマを楽しむために・・・
イースター蜂起(ほうき)とは?
イースター蜂起とは、1916年の復活祭(イースター)週間にアイルランドで起きた武装蜂起。
イギリス政府軍に鎮圧され、首謀者たちは処刑されて反乱は失敗に終わりましたが、その後のアイルランド独立戦争への第一歩に。
また、エジプト革命の引き金にもなったといわれています。
今年のセント・パトリックス・デーはアイルランドの平和を
アイルランドの国旗は、緑がカトリック教徒、オレンジがプロテスタント教徒、白は両者の調和と協調を表わしています。

2016年の国勢調査では、北アイルランドの人口44%がカトリック、40%がプロテスタントとなっており、今後カトリック教徒の人口がプロテスタントの数を上回ると予測されています。BBC
EU離脱の時はアイルランド、北アイルランドの間で紛争が再燃するのではないかと危惧されるなど今でも問題が解決しているわけではありません。
今年のセント・パトリックス・デーは世界各国にいる故郷を想うアイルランド人に、そしてアイルランドの平和を願って祝福しませんか?
いつか緑とオレンジが混ざる日を夢みて。

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